小峯寺砦(こみねじとりで)
所 在 地 橋本市小峯台 標 高 240m 比 高 60m 築 城 者 畠山義英 築 城 年 永正年間 形 式 山城 遺 構 なし 登城時間 10分
歴 史小峯寺は隅田党葛原氏の本貫地である境原を見下ろす山岳寺院で、役行者の開基と伝わる。天正年間の兵火で焼失し、近世には真言宗寺院として再建されたという。 永正10年(1513)、畠山義英が河内国の畠山尚順を攻めた際に小峯寺を城塞化して立て籠り、これに対して尚順は宇智郡や伊都郡の勢力に義英を討つよう要請したという。 独自の城郭を持たない義英ら義就流畠山氏は、寺院を軍事拠点として陣を敷くなどし抗争を続けたようである。 |
現 状小峯寺には、南北朝時代の天授5年(1379)の銘が刻まれた和歌山県指定文化財に指定されている宝篋印塔がほぼ完全な形で残されている。小峯寺砦は、宅地化の際に発掘調査が実施され、幅約6mの堀切が発見されたが、造成時に破壊され、現在は確認できない。 |
写 真 |
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| 小峯寺 |
案内看板 |
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| 宝篋印塔説明板 | 宝篋印塔 |
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| 行者堂 | 供養塔 |
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| 宝篋印塔と五輪塔 | 帯曲輪? |