名古曽城(なごそじょう)
所 在 地 橋本市名古曽 標 高 85m 比 高 ― 築 城 者 塙坂氏、高坊氏、小田氏(政所一族) 築 城 年 南北朝時代 形 式 丘城 遺 構 空堀 登城時間 ―
歴 史名古曽城は、高野山寺領である官省符荘の荘官を務めた政所一族である塙坂氏、高坊氏、小田氏の城館群である。城館は河段段丘上の街道を見下ろす台地にあり、政所一族は南北朝時代の内乱の中で荘官から武家となり、室町時代には、隅田荘にも進出し、隅田一族と結合し、隅田党を結成したという。 |
現 状名古曽城は4か所に分かれた城館群からなり、街道を見下ろす台地にあったという。現在城跡は宅地化に伴い、空堀跡のみが僅かに残されている。また高坊氏の館跡には城跡を示す石碑が建てられている。 |
写 真 |
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| 石碑裏面 |
城跡(現在は宅地化されている) |
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| 城跡(現在は宅地化されている) | 曲輪(一段高いところ)と空堀跡 |
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| 空堀跡 | 空堀跡 |