名倉城(なぐらじょう)

所 在 地  橋本市高野口町名倉
標   高   73m
比   高  
築 城 者  政所一族
築 城 年  南北朝時代
  式  丘城
遺   構  井戸
登城時間  ―
       
 

歴 史

 名倉城は室町時代から戦国期にかけて高野山荘園のある官省符荘を管理する政所一族亀岡氏城館を、戦国期に守護畠山氏に動員された軍勢が駐屯するため拡張されたという。
 「多門院日記」によると、永禄十年(1567)守護畠山秋高が根来寺連判衆ら三千人を率いてこの城に立ち寄り、三好氏らとの合戦のために大和方面に進撃したという記録が残されている。
 なお、「殿(とう)の井戸」は、当時に利用されていたという。
 

現 状

 名倉城はJR高野口駅付近の丘陵に築かれたが、現在は線路や駅舎、宅地化により遺構は残されていない。 当時の地形が確認できる場所として、城跡西側谷状地形にある「殿(とう)の井戸」と城跡がある台地は崖となっており、その高低差は約6mもあり、防御性が高い要害であったことが分かる。
 またJR高野口駅より北側にある線路を渡ったところには亀岡氏城館跡がある。
 

写 真

                                 
亀岡氏城館跡 殿の井戸
曲輪西側の崖 地蔵寺(曲輪南端)


       

地 図





紀北地方の城跡