国陣山城(くにじんやまじょう)

所 在 地  西牟婁郡上富田町岩田
標   高  124m
比   高  100m
築 城 者  山本康忠
築 城 年  天正13年(1585年)
形   式  山城
遺   構  曲輪 土塁 堀切 横堀  
登城時間  20分
 

歴 史

天正13年(1585年)、羽柴秀吉による紀州攻めに際し、南征軍の部将杉若越後守が率いる3千の大軍が、山本主膳正康忠の居城である龍松山城(上富田町)を攻略するため、岩田の三宝寺裏山に布陣した。
 これに対し山本氏は、龍松山城を防衛するため、その西方に位置する標高124mの国陣山に城を築き、家老の山本兵部を守将として立て籠もらせた。しかし、杉若勢の攻撃を受けて敗れ、山本兵部らは中辺路方面へ敗走したという。
 
 

現 状

 国陣山城は、国道311号稲葉根トンネル南側の山中に位置し、城跡へは共同墓地から山道を登ると到達できる。
 城跡は東西約15m、南北約9mの規模で、二段に造成された曲輪からなる。曲輪には土塁が残るほか、櫓台状に小高く盛土された遺構も認められる。また、曲輪の周囲には横堀が巡らされている。
 曲輪から北西側の尾根に向かっては、自然地形とみられる平坦地が続いている。また、曲輪から北東約80mの地点には、尾根を遮断する堀切が1条設けられている。
 国陣山城は、富田川方面からの敵の侵攻を意識した立地と構造を有しており、天正13年(1585年)の羽柴秀吉による紀州攻めに際し、南征軍に対峙するため築かれた陣城と考えられる。規模は小さいものの、土塁・櫓台状遺構・横堀・堀切など、防御を意識した遺構が良好に残されており、臨時的に構築された陣城の特徴をよく示す城跡である。

写 真

                                 
主曲輪 西側横堀
北側横堀 主曲輪土塁
主曲輪櫓台 北側堀切
北側曲輪 遠景

経 路

                                     

地 図




紀南地方の城跡