津田城(つだじょう)

所 在 地  伊都郡かつらぎ町大畑
標   高  651m
比   高  100m
築 城 者  津田氏(守安氏)
築 城 年  南北朝時代
形   式  山城
遺   構  なし
登城時間  15分
       
 

歴 史

 津田城は、『紀伊続風土記』の「大畑・竹尾」の絵図に描かれており、山腹には「津田氏」と記された家屋が描かれている。
 この津田氏は、根来寺の旗頭的存在として知られる津田監物算長とは別系統の人物と考えられる。
 大畑村の守安氏が一時期「津田氏」を名乗っていたことから、この城館が「津田城」と記されたものと考えられている。

 また、後醍醐天皇が吉野に入った時期にあたる建武3~4年(1336~1337)頃、建武政権軍の紀伊入国に備え、高野山領の境界を守るために築かれた城郭の一つであった可能性が考えられる。
 津田城の南方、紀の川を挟んだほぼ正面には、当時の高野山の玄関口ともいえる高野政所が位置しており、こうした立地からも、国境の守備や高野山領への侵入を警戒するための軍事拠点として利用されたものと推測される。

 

現 状

 津田城は、かつらぎ町と大阪府河内長野市の府県境付近に位置する。
 城跡へは、蔵王峠から修験道の本尊である葛城蔵王権現社脇の参道を登り、約1km北東へ進んだ後、最後に急峻な稜線を登ると到達する。

 城跡は山頂を削平した広い平坦地のみで構成され、堀切や土塁などの明確な防御施設は確認できない。
 しかし、このような高所に広い平坦地を設け、堀切や土塁などを伴わない城郭は南北朝時代の山城にみられることから、津田城も同時期に築かれた可能性が考えられる。

写 真

                                 
登城口 葛城蔵王権現社案内看板
急な稜線 平坦地
 
平坦地 平坦地
北東尾根方面 蔵王権現社

経 路

                                                        



↑↑↑   
 登城経路(動画)

地 図




紀北地方の城跡