佐藤城(さとうじょう)

所 在 地  紀の川市竹房
標   高   34m
比   高  ―
築 城 者  佐藤氏
築 城 年  不明
形   式  丘城
遺   構  なし
登城時間  ―
       
 

歴 史

 平安時代末期の平治元年(1159)、後白河院の下文に「田中庄内舎人仲清」と記された人物が見える。この仲清は、田中荘(現在の紀の川市旧打田町南部、紀の川北岸)を治めた佐藤仲清にあたるとされ、龍蔵寺周辺に佐藤城を築いたと伝えられている。
 内舎人(うどねり)とは、宮中において天皇の雑役や警護、行幸の際の供奉・警護などを務めた官職である。
 仲清の弟とされる義清は鳥羽院の北面の武士を務め、後に出家して西行法師として知られる歌人となった。
 また、高野山中興の祖とされる明算も佐藤氏一族の出身と伝えられており、佐藤氏が紀北地域のみならず高野山とも深い関わりを持つ一族であったことがうかがえる。

現 状

 佐藤城は、紀ノ川北岸の段丘上に位置する。
 龍蔵寺周辺は現在も「佐藤城」と呼ばれており、城郭としての遺構は確認できないものの、地名からもこの地が佐藤氏の根拠地であった可能性が考えられる。
 なお、龍蔵寺脇の神埼家墓所には五輪塔が祀られている。

写 真

                                 
龍蔵寺境内 案内板
西行法師生誕の地石碑 石碑
神埼家墓所にある五輪の塔 遠景

地 図



紀北地方の城跡