重行城(しげきじょう)

所 在 地  紀の川市重行
標   高  111m
比   高   10m
築 城 者  不明
築 城 年  不明
形   式  丘城
遺   構  曲輪、堀切、土塁、竪堀、土橋
登城時間  5分
       
 

歴 史

 重行城が所在する中世の池田荘は、興福寺の寺領であったが、戦国期には根来寺の影響下に入り、根来寺勢力が和泉へ進出する際の拠点の一つとして利用されたと考えられている。
 京奈和自動車道の建設に伴う発掘調査では、城跡周辺から門を伴う屋敷跡が確認され、多数の遺物が出土している。
 これらの調査成果から、城跡を含む一帯には有力者の居住地が存在していたと推定されている。
 また、吐前城主で根来寺杉之坊の惣門主であった津田監物算長が、重行城から吐前城へ移ったとする説もある。
 

現 状

 京奈和自動車道紀の川IC北側の河岸段丘先端部にある、通称「城山」と呼ばれる周囲より一段高い場所に城跡がある。
 遺構は、現在畑となっている広い平坦地が曲輪と考えられ、曲輪北側には堀切が良好に残っている。
 堀切には土橋が設けられ、曲輪への入口には土塁の一部が残っていることから、この場所が虎口であったと考えられる。

 曲輪の東西は深い谷となっており、急峻な地形と切岸によって防御されている。
 また、曲輪東側にある溜池は「堀池」と呼ばれており、南側にかけて堀切が設けられていたと推測される。
 重行城は小規模な館城であるが、周囲の地形と堀切・土塁などを巧みに利用した、防御性の高い城であったと考えられる。

写 真

                                 
北側堀切外側から曲輪を望む 曲輪
北側堀切 北側堀切
土橋 虎口西側土塁
 
西側竪堀 城跡へ繋がる農道


経 路

      
  
       

地 図



紀北地方の城跡