八幡山城(はちまんやまじょう)
所 在 地 西牟婁郡白浜町矢田 標 高 75m 比 高 70m 築 城 者 安宅河内守 築 城 年 享禄年間(1528年〜1531年) 形 式 山城 遺 構 曲輪 土塁 石垣 堀切 横掘 登城時間 15分
歴 史大永6年(1526年)、安宅氏12代当主であった実俊が病没すると、嫡子の安定が幼少であったため、実俊の弟である定俊が安定の元服まで家督を預かることとなった。しかし、安定が元服した後も定俊は家督を譲らず、これをめぐって内紛が起こり、周辺の国人領主をも巻き込む争いへと発展した。定俊はこの城に拠って抗戦したが敗れ、最後は自刃したという。 |
現 状八幡山城は日置川河口部より約3km上流の白浜町矢田地区にあり、西側は日置川が流れ、当時東側は湿地帯を利用した要害堅固な山城である。城跡は東西32m、南北30mの主曲輪が山頂にあり、曲輪周辺には2mを超える大土塁で囲まれ、主曲輪と北側尾根との間に巨大堀切により遮断されている。 主曲輪西側に東西60m、南北10m程のL字型をした二ノ曲輪あり、土塁内側を石垣で補強されて、投石に用いる大量の河原石が残されている。 八幡山城は平成14年〜15年にかけて発掘調査が行われ、土師器(はじき)、輸入陶磁器、国産陶器、鉄製品、富本銭が発見された。中でも富本銭は室町時代に奈良時代のものを真似して作った「模鋳銭」であり、他に例がないものであった。 八幡山城は投入された土木規模や遺構の保存状況、優れた縄張りなどから、見所豊富な城跡である。 なお主曲輪には安宅治部大夫定俊を供養するため「治部大明神」の祠があり、毎年一度お祭りが行われている。 八幡山城は投入された土木規模や遺構の保存状況、優れた縄張りなどから、見所豊富な城跡である。 なお主曲輪には安宅治部大夫定俊を供養するため「治部大明神」の祠があり、毎年一度お祭りが行われている。 |
写 真 |
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| 登城口 | 主曲輪 |
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| 主曲輪大土塁 | 主曲輪切岸 |
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| 二ノ曲輪 | 二ノ曲輪虎口 |
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| 二ノ曲輪土塁と石垣 | 二ノ曲輪石垣 |
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| 岩盤を削掘した堀切 | 北側横堀 |
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| 二ノ曲輪土塁補強の石垣 | 散乱する礫石 |
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| 実俊を祀る社 | 案内看板 |
経 路 |