中山城(なかやまじょう)

所 在 地  西牟婁郡すさみ町里野
標   高  35m
比   高  28m
築 城 者  伊東氏
築 城 年  不明
形   式  丘城
遺   構  曲輪 土塁 虎口 
登城時間  10分
 

歴 史

 伊東祐時の子・祐光の子孫が日向国へ下向し、日向伊東氏として勢力を誇ったが、その後、日向伊東氏が没落すると、その一族が当地へ逃れ、中山城を築いたと伝えられている。
 また、地元では「中山城」とは呼ばれず、「中山の城屋敷」と呼ばれていることから、居住を目的とした定住型の館城であったと考えられる。
 

現 状

 中山城は国道42号線沿いの枯木灘を望む中山という小丘にあり、城域がJRの線路により分断されている。
 令和元年9月から実施された紀勢道路延伸に伴う発掘調査により、曲輪は東西29m、南北23〜28mの台形で、後世の耕作により遺構は改変されているが、北側に高さ3m程の土塁や土塁が繋がっていない切れ間が虎口の効能性がある。曲輪には岩盤を削って造られた土坑があり、水溜めではないかと考えられている。
 また北側尾根を遮断する堀切も残されている。
 このページの写真は発掘調査前に撮影されたもので、現在は高速道路により遺構は完全に消滅している。


写 真

                                 
主曲輪 主曲輪土塁
主曲輪虎口  城跡の中央を通る線路 

経 路

                                                   

  

                              

                                

地 図






紀南地方の城跡