宮代城(みやしろじょう)

所 在 地  田辺市鮎川
標   高  209m
比   高  153m
築 城 者  恩地氏
築 城 年  不明
形   式  山城
遺   構  曲輪  堀切 石垣  
登城時間  30分
 

歴 史

 宮代城は、富田川流域を支配した山本氏の居城である龍松山城(上富田町)の北東約3kmに位置する。
 城主は山本氏の家臣であった恩地氏と伝えられ、天正13年(1585年)の羽柴秀吉による紀伊国への南征に際して築かれた臨時的な城郭であったと考えられる。

現状

 城跡は田辺市大塔行政局の前方にある城ノ山に築かれており、周囲を河川に囲まれた要害の地に位置している。
 曲輪は東西約40m、南北約20mほどの規模で、中央部には巨岩が露出している。
 主曲輪西側の尾根には石積みと二条の堀切が設けられており、特に西側からの侵入に備えた縄張りであったことがうかがえる。
 明治22年(1889年)にこの地方を襲った大水害の際には、城跡に残されていた石垣が河川改修に利用されたと伝えられている。
 南側の麓は「城ノ浦(裏)」と呼ばれ、20m四方ほどの広い平坦地が残されている。城主あるいは城兵の屋敷地が設けられていた可能性も考えられる。
 宮代城は曲輪の造成が比較的簡素で、常時居住する城館としては適した構造とはいえない。このことから、平時の居館というよりも、有事の際に立て籠もるために臨時的に築かれた城であった可能性が考えられる。

写 真

                                 
主曲輪 主曲輪
測量跡? 西側尾根堀切
西側尾根堀切 西側尾根石垣
屋敷跡か 屋敷跡石垣
屋敷跡から城に至る山道 山道途中の祠跡


経 路

 

地 図





紀南地方の城跡